よめないかるたの百面相

学術たん「嫁内かるた」の興味関心が駄々洩れになっているブログ

「何者にもならない」にすらなれない者。

マルチポテンシャライトなら、まだ良い。

現代日本は、管見の限りでは「スペシャリストに優しく、ジェネラリストには厳しい」のだと思う。巷間で成功を収めている人は、おしなべて何らかの分野において専門的な知識を豊富に持っていたり、ある一つの分野において努力を続けてきたりしている。転職のシーンでも「〇〇業界でずっと生きてきた人」には企業は門戸を開放している一方で、「さまざまな業界の経験がある人」はよほどでない限り「キミはイッカンセイがない生き方をしているんだねえ」などと言われて叩き出されてしまう。

しかし、かかる常識にNOを突きつけられるかもしれない概念が、このごろ流行っている。それこそが今回のテーマである「マルチポテンシャライト」だ。マルチなことにポテンシャルを持つ人間、つまり「様々なことに興味を持ち、多くのことをクリエイティブに探究する人やその人の働き方」(下記リンクから引用)のことをいうらしく、下記で紹介されている「TEDトーク」によって広まりはじめたようだ。

私はこの概念を非常に好ましく思う。というのも、スペシャリスト信仰では「私は〇〇の専門家だ」というアイデンティティを持つことを強制される(そして持てない人間は市場価値がない)が、「私は何の専門家でもありませんが、いろいろできます」という生き方を許すことに繋がるからだ。

dual-work.com

だが、その大前提として、決して忘れてはならないことがある。「多岐にわたる興味が、きちんと仕事に繋がっているか」という点だ。その幅広い興味関心がお金になっているのであれば、それは「マルチポテンシャライトに価値がある」という証左になるだろう。裏を返せば、金の実らないマルチポテンシャライトには、市場価値はないのだ。かかるタイプの人間を、「多方面において素人である人間」という意味で、仮に「マルチアマチュア」と名付けてみよう。

 

マルチアマチュアは、積み上げられない。

マルチアマチュアは、持っている知識をビジネスで使うことがない。となれば、確実に毎日その分野に触れられるとは限らない。仕事が忙しかったり、やるべきことが山積していたりすれば、自学自習の時間は確保できないだろう。また、その分野に触れなかったとしても、誰かに迷惑をかける訳ではないから、「飽きたからしばらくその分野は勉強しなくても良いかな」「他に面白そうな分野を見つけたから、ちょっと浮気しよう」などと勉強をサボることもできてしまう。

結果として、多忙な時期が来たりマイブームが過ぎたりすれば、それまで学んできた分野を勉強しなくなり、せっかく積み上げた知識や勘もどんどん鈍っていく。覚えたはずの基本用語や公式も忘却の彼方に置き去りにされ、読んだはずの本の内容も脳の引き出しから出て来ようとしない。……あれだけ学習や読書に時間を費やしておきながら、その脳内には足跡がほとんど残らないのでは、「人生の遠回り」どころではなく「人生の時間をドブに捨てる」も同然ではないか。だから私は、マルチアマチュアたる自分の生き方を強く恥じ、悔いている。

 

せめて積み上げるには、きっと復習しかない。

マルチアマチュアからマルチポテンシャライトへと変貌するのは、決して簡単ではない。ビジネスに繋げられるだけの知識量、ビジネスに対する勘や努力、お金を稼げるようになるための運、ビジネスチャンスに対する先見の明。そんなものを持ち合わせているなら、端からマルチアマチュアとして燻っているはずがないのだ。

マルチポテンシャライトになれないのであれば、せめて知識を積み上げられるマルチアマチュアになりたい。それが人生にプラスなのかは知らないが、少なくとも人生の時間の無駄遣いはいくらかストップさせられるだからだ。

そのためには、定期的な復習こそが有効なのではないか。具体的には:

①単語帳を作り、定期的にテストを実施する

②その分野を学ぶ友人を作り、定期的に絡みに行く

③その分野に触れるチャンスをとにかく逃さない

④多忙にならないような仕事を選ぶ

⑤勉強せざるを得ない理由を作って自分を追い込む(ex.検定試験に申し込む)

MECEになってなさすぎて笑えないが、きっともう少しマシな方策もいつか見つかることだろう。

……とはいえ、繰り返しになるが、こうまでして①~⑤のごとき努力をしたとしても、所詮それはマルチアマチュア。マルチポテンシャライトのように、市場に何かを与えられるわけでも、アイデンティティを獲得できるわけでもないのだ。

 

多方面への興味は、果たして正の財産なのか。

私は問いたい。「いろいろなことに興味を持てること」は、本当に喜ぶべきことなのだろうか。メリットとデメリットのいずれが大きいのだろうか。そこに市場価値はあるのか。

……もしかすると、マルチポテンシャライトとして成功している人間は、ほんの一握りの幸運な者だけなのではないか。大多数の人間は、人生の時間を無駄にしたり、アイデンティティを持てず劣等感に苛まれたり、復習の方法について貴重な時間を割いたりしつつ、結局「何者にもなない」で人生を終えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

【読書記録】中島義道『差別感情の哲学』(講談社学術文庫)

下記は、中島義道『差別感情の哲学』(講談社学術文庫)についての読書記録である。「→」から先は基本的にメモ者の感想となっている。

いくらかチェリーピッキングである点は否めないが、どうかご寛赦いただきたい。また、いずれも完全な引用ではない。

メモ

①動物行動科学者のローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz)曰く、人間のみが文化を有するが、文化の淵源を人間のみが「種内攻撃」するところに求める。つまり、地上の動物が「高級」になればなるほど、集団や個体の差異に敏感になり、ある集団や個体を好んだり別の集団や個体を嫌ったりするのだという。

→たしかにこれはメモ者の実感にも合致する。「高級」であるサルには群れの中にヒエラルキーがあるとされているし、「高級」でないアリには(女王アリを除き)ヒエラルキーはないように思える。

 

②中河伸俊曰く、現に自分が得をしている場合においては、好むと好まざると拘らず、自分が得をしているということを認めなくてはならないという。つまり、仮に己がその差別を「区別」だと思っていたとしても、決して区別であると認めてはならないそうだ。

→本書の最初10%くらいのところで登場した引用であるが、すでに中河の主張が、筆者の結論の一側面(の変奏)になっているように思う。というのは、筆者は最終的に「すべての行動に差別が含まれていることを常に自覚せよ」と述べているが、ここに「得をしている側が」という制限を加えれば、かなり中河の主張に近づくからだ。

 

③逆差別にも注意が必要である。非権力者が権力に立ち向かい自らの理念を実現するために、それ自身権力を持つ必要がある(さもなくば対抗できない)。さらに「復讐」という色彩が強烈な場合、この逆差別は暴力をも正当化しかねない。

→この点には強く賛同する。まさにメモ者が「某思想ムーブメント」に対して思っていたことと同じである。当該ムーブメントにおいては「我々は抑圧されている!」という主張がしばしば攻撃的な言説をもって展開されているし、このムーブメントに対して異論を投げようものなら「人権思想を知らない奴」というレッテルを貼られてしまう。まさに暴力性・権力性を伴ってきているではないか。

 

④被差別の抑圧感は、差別する人々が建前上のルールを受け入れつつ、しかもそれを無視しているという不当感を源泉としている。

→「差別」という概念を定義するのに資するものだと感じた。「建前上のルールが受容されている」「ルールが無視されている」という2つの要件により「被差別の抑圧感」が成立するということだろう。であれば、差別を解消するためには、建前上のルールをいくら弄ったところで限界があるということが導かれる。

 

ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan)が「欲望とは他人の欲望である」と述べたが、特定の社会において、プラスの価値とマイナスの価値(いずれも動的なものだが)は客観的に決まっているという。つまり「この不快感は私個人が抱いているものだ」と主張したところで、その源泉には「社会的な価値観」が存在するのだ。

 

⑥「差別感情」を「ある社会的劣位グループの構成員を、その構成員であるがゆえに一律に不快に思う感情」と定義する見解がある。そして特定の集団(被差別部落出身者や浮浪者等)=公認された被差別者に対しては、不快の表出を抑えるべきだというのが、現代日本での暗黙の前提であり、これに従わねば社会的に葬り去られる。

→先日、あるインフルエンサーが「ホームレスは無価値」というようなことを述べて大炎上していたし、相模原にある津久井やまゆり園の事件では、被告の行動もさることながら、その思想も大きな波紋を呼んでいた。

 

⑦あまりにも社会的コンセンサスに合致した行為をするならば、自分の誠実性(思わず被差別者を避けてしまう等の「気持ち」に従うこと)がダメージを負う。かといって自分の誠実性を守ろうとすると、社会的に排除される。

→筆者も本書にて、このジレンマともいうべき現象に悩んでいた。

 

⑧生物体としての人間の基本的欲求(自分の眼で見たい、自分の足で歩きたい等)をA群とし、社会的存在としての人間の基本的欲求(定職があるほうが良い、肉体的に魅力があるほうが良い等)をB群とする。

ここで「文化としての障害」という概念を考える。これは「身体障害者であることを恥じたり卑下したりすることなく、同じ誇りをもって生きたい。つまり障害は「文化」なのだ。

しかし筆者はこの点について懐疑的である。障害も一つの固有な文化として扱われるべきなのかもしれないが、対等な文化であるわけではないという。これらを完全に対等な文化として扱い水平化するのは、欺瞞的である。

→この区分法は、かなり思考の役に立ちそうである。と同時に、A群は「0か1か」の要素が強く、B群は「グラデーション」の要素が強そうだとも感じる……が、本当にそうだろうか。このあたりはさらなる検討を要する&この発見の活用法についても熟慮が必要である。

 

⑨嫌悪は能動的感情であり、「個別の不快感とは別に、個々の不快感に回収されないもの」として、恒久性・超越的統一性を持っている。

 

⑩事実に基づかない差別感情は、事実に基づかないからこそ教育で変えることができ、あるいは自然に解消する可能性もある。かかる意味で、差別語をヒステリックなほど禁止するのには意味がある。

 

⑪ゴフマン(Erving Goffman)が「儀礼的無関心(civil inattention)と呼ぶ概念は、「絶えず互いに『正常である』というサインを発しつつ、その正常値を認知しあった関係を維持したまま互いに無関心を装う態度」である。ここに投げ込まれている自己を、薄井明は「市民的自己」と呼んでいる。この市民的自己は、ひとたび自然でない人を見つけると、「まともでない人」という烙印を押し、「異常者」として扱う。

差別感情としての嫌悪が強い人というのは、「正常と思われたい欲求」が強く、「儀礼的無関心」を装いつつも自分の周囲に異常な人を嗅ぎ付け、括り出し、告発する人である。つまり、与えられた状況に敏感な人こそ、かかる人になりがちである。

 

⑫その社会における価値観とぴったり一致して差別に怒りを覚える人は、どこまでも「正しい」と評価される。だからこそ自己批判的にならねばならない。自らが正義の側におり、その正義が侵害されたとなれば、加害者を徹底的に打ちのめして良いという思想を持つ人間もいる。

→ほとんど③と同じことを言っているか。

 

⑬差別問題が空転する理由を、筆者は「からだで考えることを拒否し想像力の欠如した輩が繁茂しているから」「彼らは、いかに頭で差別問題を『知って』いても、自分は安全地帯にいると思い込み、自分は永久に被差別者になることはないと高を括っている」としている。

→この点については疑問を投げかけたい。というのも「自分が〇〇の分野では被差別者側の人間だ」と強く自覚するあまり、××の分野において自分が差別をしていることに無関心になっている人間もいるからだ。想像力の欠如は「私は差別されない」と高を括っていることに起因するのではなく「私は差別していない」という誤った信念によるものではなかろうか。

もっとも、ひとりの人間があらゆる差別に対して等しく憤ることは不可能であるから、上のような人物を「それはけしからん」と責めるのは、少々理不尽なのかもしれない。とはいえ、「〇〇平等」ならともかく「人類皆平等」を彼らが唱えることについては違和感を抱かざるを得ないが。

……あるいは、〇〇平等がもし歪んだ形で「正義」を手に入れてしまった場合は、「自己批判ができない(正義を疑うのは異端だから)」「外部から攻撃を受ける→より躍起になって正義を振りかざしたくなる」という負のスパイラルに陥ることも考えられる。

 

⑭「我々は他人から(理不尽に)嫌われることに対する抵抗力を身につけねばならず、そうした抵抗力のある者だけが、現実的に差別感情に立ち向かうことができる」

→この部分についても疑問を抱く。「差別感情に立ち向かう」の定義が曖昧であり、かつ「できる」というのは「may」なのか「can」なのかもわからないからである。要検討。

 

⑮軽蔑とは、他人における意志がわれわれよりも極めて劣っていて、我々に対しては善も悪もなしえないと判断し、その意志を軽視しようとすることである。ここに「我々が啓蒙してやろう」という気持ちが加われば、近代的平等主義と過酷な植民地支配が両立してしまう。

 

⑯差別に対して憤慨し強く抗議するなど、全身を社会のトーンと完全に同じ色に染め上げている人間を「硬い差別反対運動者」と筆者は述べている。かかる人間はあまりにも時代の潮流に沿った「善良な市民」であり、その限り同じ危険を内包しているという。

 

⑰「現代日本では上位者から下位者への軽蔑が厳しく統制されているからこそ、社会的価値において下位者から上位者への軽蔑のみが表面に出てきている」

→これにより、上位者・下位者の権力構造が完全に逆転してしまうのではないかと感じる。下位者は正義という権力を振り回すことができるが、上位者は下位者から何らかの攻撃を受けても、一切反撃ができないからである。

 

⑱心理学における「投影」とは、自分のうちに潜む悪を他人に投影し、次に「その人が悪い」と判断することで、自らは罪責感から逃れようとする運動であるそうだ。

 

⑲「国や民族や故郷や家族や出身校をごく自然に愛するところに差別感情の萌芽がある。いや、その最も深い根っこがあるのだ」/役割の束にこそその者のアイデンティティがあり、その束こそがアイデンティティなのだという。

→これは果たして真なのだろうか。「自分と同じ意見を持っている人間は仲間」「違う意見を持っている人間は敵」というタイプの人間を少なからず目にするが、これは「相手の属性ではなく意見によって”自然に愛する”か否かが決まっている」といえるため、これらの文とはかなり趣を異にしているように思える。

 

⑳「差別的まなざしにおいては、それを『向ける者』と『向けられる者』とが交換不能な形で配置される。まなざしを向けられた者が同じまなざしを向け返せないとき、まなざしの『差別が完成する』のである」/まなざしとともに、意味づけを受け入れよと迫ってくる。そうして被差別者に「内面化」されてしまうという。

→この差別観もかなり優れているのではないだろうか。

 

㉑パレーシア(παρρησία)とは、あえて他者が好まない事柄を隠さず直言するというもの。真理を言わずに沈黙することに耐えられないというのは、自己に真摯でありたいという道徳的動機によるものが多いという。しかし、その「真理」は本当に「真理」であろうか。どんなに本人が確信していても、どんなに同時代人がこぞって同意していても、結局それが真実なのか信仰なのかはわからない。

【読書記録】足利健亮『地図から読む歴史』(講談社学術文庫)

下記は、足利健亮『地図から読む歴史』(講談社学術文庫)についての読書記録である。個人的に「面白い」「何かの役に立ちそうだ」という知見を、ごく簡単にまとめていく。

あくまでメモ者の目に引っかかったポイントを記載しているのであって、本書のメインとなる主張とはズレている可能性があることをあらかじめお断りしておきたい。

佳字について

縁起の良い字を「佳字」と呼ぶ。たとえば長寿を現す「鶴」「亀」「松」などがその例だ。 筆者によれば、佳字を地名や山の名前に使うのは中世末から近世に、特に城下町で流行したムーブメントだという。

地名が伝わる際の形態

メモ者の実感と一致することだが、やはり地名は音として伝えられることが多く、用字自体はさまざまに変わるのが普通のことなのだ。

「国」の数

国は飛鳥時代から奈良時代へ、分割などで次第に増加。平安時代には68か国の安定状態が続いたという。これが明治時代に再編成されて府県になった。

さて、古代から中世のある時期までは、国の行政をつかさどった役所は「国衙」「国府」「府中」「国庁」と呼ばれたという。 メモ者がすぐに思いついた関連地名は「東京都府中市」「神奈川県小田原市国府津こうづ」であった(最近知った難読地名「大阪府中河内郡孔舎衙くさか村」にも「衙」の字が用いられているが、これは単純に音を当てたの可能性もあるので、国衙との関連性は疑うべきだろう)。

筆者は三重県伊賀市坂之下国町こくっちょも「国庁」に通ずるとしている。

大阪府中河内郡孔舎衙村は1955年に合併により枚岡市になり、その枚岡市も1967年に合併して東大阪市となっている。

駅家

古代の主要道路には、原則30里(約16km)ごとに「駅家うまや」が設けられたいた。それゆえ古代の主要道路は駅路(うまやじ/えきろ)と呼ばれていたという。

織田信長安土城

信長が尾張・美濃一帯を制する拠点として金華山稲葉山因幡山)を選んだ理由として、地理的観点から2つのことが言えるという。

(1)金華山は目立つ。濃尾部屋のどこからでも際立って見えるし、山頂からは平野全体を睥睨できる。

(2)沢彦たくげん和尚が地名を「岐阜」と改めるアイデアを出したこと。かねてより「義婦山」という名とそれに因む地名伝説があったことに加え(『美濃国風土記』)、中国陝西省「岐山」の故事から「岐阜(阜:丘の意)」という名を提案したのだろうという。

さらに筆者は「観音寺山でなく金華山にした理由」として、「肉眼や狼煙での連絡のつけやすさ」「一斉放火されにくく、仮にされても脱出しやすい」という2つの仮答と提示している。

乙訓寺の話

京都府長岡京市今里にある「乙訓おとくに寺」の由来は『古事記』『日本書紀』の記載が参考になる。

垂仁天皇の初めの皇后は、兄に唆されて謀反の心を抱くが、その心が発覚して自殺する。その皇后の「死に際して自分の代わりに丹波の美女を呼び寄せるように」との遺言の通り、垂仁天皇はのちに女性を後宮に召す。しかし、長女は美しいものの、妹2名は非常に醜かった。垂仁天皇は妹2名は娶らずに元の国に送り届けたが、恥ずかしさのあまり1名は「樹の枝に取りさがりて」(メモ者注:首吊りのこと?)死んでしまった。そこで「懸木さがりき」から「相楽」という地名ができた。もう片方の妹は深い淵に堕ちて死んでしまった。そこで「堕国おちくに」から「弟国」という地名になったという。

「乙訓」はその音から来ているのだろう。

唐櫃越の話

唐櫃越からとごえは、京都府京都市西京区山田と亀岡市篠町山本の間にある道のこと。1336年の資料に「賀羅富津越」という地名が見え、そこから「からふとごえ」→「からとごえ」となったと推測される。用字については、一人ずつ縦列でないと通れず、唐櫃(上面中央に通して棒で吊り下げ、前後の二人が棒を担いで運ぶ荷物箱)を運ぶ以外に有効な運送手段を使えなかった道、ということのようだ。

「野」について

野と呼ばれるのは、比較的平らだが小高く、水がかりが悪く耕地(特に水田)に不向きであるため、雑木林や竹林になっていたところが多かった。しかし小高いところに限定せず、川の合流地点付近の広大な低湿地も、未開拓で鳥や小動物が多く、野として歴史に現れることがあったという。

面白いのは「吉野山」のように「地名がズレた」例も存在するということ。

「日下」について

苗字としても散見される「日下」は当然「くさか」と読むが、なぜ「日」で「くさ」と読めるのか筆者は答えている。

すなわち「日」は「草」を簡略化した字であって、この記法が『古事記』でも使われていたため現代に伝わっているのだという。

「走水」について

神奈川県横須賀市走水はしりみずの由来についても多少触れられていた。

「亦進相摸、欲往上總、望海高言曰「是小海耳、可立跳渡。」乃至于海中、暴風忽起、王船漂蕩而不可渡。時、有從王之妾曰弟橘媛、穗積氏忍山宿禰之女也、啓王曰「今風起浪泌、王船欲沒、是必海神心也。願賤妾之身、贖王之命而入海。」言訖乃披瀾入之。暴風卽止、船得著岸。故時人號其海、曰馳水也。」(このサイトを参照、『日本書紀』)

メモ者がおおざっぱにまとめると「相模から上総に立跳で渡ろうとしたが、渡っている途中に暴風に襲われた。そこで弟橘媛おとたちばなひめが『船が沈むのは海神のせいなので、私が命を差し出して(神に捧げましょう)』と述べ、海に入ってしまった。すると暴風が止み、岸までたどり着けた。そこでその海を『馳水はしるみず』と呼んだ。」とのことだ。

「筋」について

大阪では南北の道を筋と呼び、東西の道を通りと呼ぶが、筆者曰く「正しくは町通り」であるという。 また「筋」と呼ばれる理由については「東西道路は家が間口を開けているメインストリート=町通りであるのに対し、南北の道は家々の横壁や塀が続くだけの通過専用横丁だったから」と述べている。

出てきた難読

膳所ぜぜ藩:「近江国滋賀郡膳所膳所城(現在の滋賀県大津市)に藩庁を置いた藩」(Wikipedia

三重県伊賀市坂之下国町こくっちょ

繖山きぬがさやま

乙訓おとくに

簸川ひのかわ寺:「斐伊川神戸川による沖積平野」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)